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映画『寄生獣』&『寄生獣 完結編』~ ホラーから人間賛歌まで、盛りだくさんの映画

こんにちわ。

職場の近くの小学校では、子どもたちは毎日元気に運動会の練習をやっています。

コロンボです。

 

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基本情報

寄生獣 2014年 公開 

寄生獣完結編 2015年公開

監督 山崎貴 

主演 染谷将太

 あらすじ

海辺に漂着した小さな寄生生物、パラサイト。彼らは人間に寄生しては宿主に擬態し、ほかの人間を食料としてむさぼっていく。そのうちの1匹が至って普通の高校生・泉新一(染谷将太)に寄生するが、脳を乗っ取ることができずに右手に宿る。自身の肉体にパラサイトが寄生して驚がくする新一だったが、彼をミギーと呼んで共生するうちに奇妙な絆を育むように。やがて、彼の通う高校に教師・田宮良子(深津絵里)に寄生したパラサイトやって来る。それを発端にほかのパラサイトが次々と出現し、新一とミギーに襲い掛かる。

シネマトゥデイ (外部リンク)

 

 映画化について

 寄生獣の原作は、1990年台に人気を博した岩明均氏の同名漫画だ。そしてこの映画の監督は、「ALWAYS 三丁目の夕日」や「永遠のゼロ」などの山崎貴氏となっている。

 「ALLWAYS 三丁目の夕日」では抒情的で懐かしさを感じさせる世界を描いた山崎貴監督が、岩明均氏のグロテスクな画風の寄生獣をどのように撮ったのかが、映画化となった時にまず感じたことだった。

 

 しかし、この手の映画は、下手をしたら大失敗をしてしまう恐れが大いにあるため、私は勝手にチープな仕上がりになってしまっているんだろうな、と自己判断してしまって、若干敬遠ぎみであったのだ。

 

 ちなみに『寄生獣』は、日本での制作前にはアメリカの映画配給会社が映像化の権利を持っていたということだ。しかしどういうわけか映画化には至らずに権利を失い、そこで原作漫画のファンでもあり、映画化の企画を熱望していた山崎監督が制作することになったという経緯があったようだ。

 もしもハリウッド版の『寄生獣』ができていたなら、どんな感じになっていたんだろうとは、ちょっと興味の湧くところではある。

 

 日本では、SFXの映像化はどこか安っぽい感じになることが多いのだが、実際に見てみると、この映画に関しては、意外と?しっかりと作りこんでいて、違和感のない仕上がりになっていた。特に、主人公の右手に寄生した”ミギー”はかなり自然でリアルな仕上がりになっていたと思う。

 ストーリーと、メッセージ

 ストーリー自体は、実は昔からよくあるものである。単純に言えば、人間の脳に寄生した知的宇宙生物が、人間を駆除するという話なのだが、こういった題材は何度もSFとして映画で描かれていている。

 エイリアンしかり、遊星からの物体Xしかりである。(ちょっとマイナーでB級になるかも知れないが、1998年のアメリカ映画「パラサイト」も同じような系統の映画だ)

 

 しかし、この映画の違うところは、その寄生生物にもそれぞれの個性があるところだ。人間をただ食い尽くすことだけを目的とするものもいれば、人間との共存を模索するものもいる。そこに面白さがあるのだと言える。

 

  また、本作品には、多くのメッセージが盛り込まれている。それらは特に新しいメッセージではないが、決して陳腐にはなっておらず、流れの中で自然に(押し付けがましくなく)語られる。

 ラスボス的な存在、ゴトウ(浅野忠信)が言う。

『自分(ゴトウ)に、「人間を食い尽くせ、食い尽くせ」とささやいているのはお前たち人間自身だ』と言う(セリフそのままではないが)。

 それが表しているのは、人間を最も忌み嫌い、排除したがっているものこそ、当の人間なのだということだ。

 寄生獣というものは、その象徴的存在として作り出されたものなのかもしれない。

 

 また、人間の子を産み、育てるタミヤリョウコ(深津絵里)は、赤ん坊に接する中で感情が芽生え、人間性を肯定するようになる。そこに人間の可能性を見出すことができる

 

 あるいは、これは、現代でいうところの、AIと人間の関係を隠喩しているとも言える。現在、AIの発達はめざましく、AIを作り出した人間が、その製造物であるAIに自らの居場所を奪われようとしている。まさに、その警告ともとれるのである。

 

 そう考えると、この映画は、単なるグロテスクな映画ではなく、メッセージ性に富んだ映画と見ることができる。

 ただ、そんなメッセージも、やり方をちょっと間違えれば、そこだけが妙に浮いてしまったり、作品をつまらないものにしかねないのだけれど、そこがそうならずに受け入れられるのは、もしかしたら、俳優陣の演技に助けられているのかもしれないな、とも思うのである。

感想

 いろいろ書いてきたが、純粋に娯楽としてもとても面白い映画だった。ホラーもあり、ヒロイズム、アクション、環境破壊、人間賛歌、そして恋愛と、とても盛りだくさんの映画だった。

 ところどころステレオタイプ的なシーンもあったけど、それもまあ許容範囲だろう。ただ、後半に、新一が彼女の里美と結ばれるシーンに関しては、なんかとってつけたみたいに思えるし、「そこってホントに描かなあかんかなぁ?」と疑問に感じさせるシーンだった。百歩譲って撮ったとしても、もう少し短くライトな感じに収めた方がよかったんじゃないかと思ってしまいましたね。

 

 他には、深津絵里の演技はさすがに存在感があったし、ミギーの声役の阿部サダヲもよかった。

 そんな中でも、特に主役の泉新一を演じた染谷将太が良かったように思う。映画の中で、彼は成長を遂げていく役柄なのだが、それをうまく演じていた。最近、染谷将太が、”きている”と言われているが、なるほど今後の彼の演技には注目していくべきだろう。

 

では。

 

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